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50代半ばのおじさんです。何気に背景の画像がだいすき。
ご視聴とコメントありがとうございます。背景の画像は時間のある時にオリジナルで作っております。お褒めの言葉大変嬉しいです。ありがとうございます。
興味深い動画、いつもありがとうございます。秋田8:10発の「つばさ」は、青森発の「白鳥」と同時発車だったんですよね。そして「白鳥」→「つばさ」に乗り継いでも、特急料金が通算されるという、国鉄にしては柔軟なサービスがあったんですね。
ご視聴とコメントありがとうございます。「国鉄にしては」というのは同感です。特急料金は当時高価でしたから、通しの特急券が購入できるというのはありがたいですね。
いつもありがとうございます。東京と大阪の間に新幹線が出来ようとしている時代に優等列車すら少なくかつ最終列車が急行の津軽号というのも驚きですね。普通列車も9時過ぎで終了と言うのも時代を感じるものです。鹿児島のところでもコメントさせていただきましたが、地方都市では県庁所在地クラスと言えども近所で物事が完結し夜は早々と家に帰っていたものと思います。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。本数の少なさと、最終の速さに驚きですね。鹿児島の動画でコメントいただきましたね。ありがとうございます。この頃は地方関係なく、現在のように、都市間での移動を積極的に行うような時代ではなかったわけですね。生活スタイルの変化を感じますね。
@@tomoyankun さまこの時代は買い物は各地区の駅前商店街、周辺の方々が秋田に出るくらいでも大仕事だったのでしょうね。今や地方では駅前が衰退し、広大な敷地を有するショッピングモールに車で行きそこで1日の買い物と娯楽が完結する時代。地方の新幹線や鉄道で夜に旅することもありますが、夜遅くでもモールだけは煌々と明かりがついていますね。地方に残った方の生活も都会化しているのでしょう。便利にはなれど地域独特の文化が隅に追いやられているものと思います。
おが懐かしい…私が秋田に居た頃は、急行で1本だけでした。
ご視聴とコメントありがとうございます。当時の時刻表を読むと、懐かしい列車はもちろん、初めて知る列車もあり、楽しいですね。
現在の 奥羽本線は 新庄駅で 完全に 分断されています。分断前の 奥羽本線には 長距離列車が 多かったですね。
ご視聴とコメントありがとうございます。軌間が異なっているので、完全に分断されてしまいましたね。
今では踏切で止まる事が珍しいですね電車もバスもほんと少なくなった
ご視聴とコメントありがとうございます。バスのシェアが増えた後に、現在ではそのバスも衰退傾向にありますね。時代の変化で仕方がない部分があるとはいえ、公共交通から少しずつ元気がなくなっていくことが寂しいですね。
秋田駅は今では新幹線で当日中の夕方に鹿児島中央まで辿り着けるみたいですね。秋田6:09~東京09:47 こまち6号東京10:09~博多15:06 のぞみ23号博多15:13~鹿児島中央17:01 つばめ325号日本国内がかなり近くなったと感じます。しかし秋田新幹線が田沢湖線経由になってしまっているため、奥羽本線の衰退ぶりには目を覆いたくなりますね・・・
いつもご視聴とコメントありがとうございます。詳細に調べていただきありがとうございます。1964年9月の時刻表で調べてみますと秋田8:10~上野16:50 特急つばさ東京19:00~西鹿児島17:30 特急はやぶさ約24時間の差がついてしまいますね。この動画を作成してから、現在の奥羽本線の時刻表を見てみましたが、新幹線を除けば、区間運転の普通列車ばかりで本当に寂しくなってしまいましたね。
楽しく拝見させてます。今度は盛岡駅の時刻表をお願いします!
ご視聴とコメントありがとうございます。東北本線のすべての列車が停車し、山田線の列車もあり、大変にぎやかな時刻表になっています。リクエストを大変多くいただいておりますので、時間がかかってしまうと思いますが、とり上げさせていただきますね。リクエストありがとうございます。
@@tomoyankun ありがとうございます!ちなみに私は元東北本線沿線の盛岡市民です。
上野行き列車に急行のみならず普通列車まであったのには驚き。
上りはまだしも下りは新聞輸送を担っていましたね。全国紙やスポーツ新聞は都内で印刷、夜行列車に積み込まれていたようです。地域ごとに記事の締め切り時間が異なり、プロ野球の結果が途中までしか記載されていなかったことも。ネットで結果がすぐに分かる現在では考えられないことですね。
ご視聴とコメントありがとうございます。まだまだ列車が人やモノの輸送の主力であったことを裏付けているように思えますね。新聞にプロ野球結果が途中までしか記載されないことに驚きました。日本のどこにいても最新の情報が手に入ることが素晴らしいことだと実感しますね。
@@TSUYOS185 さん新潟在住ですが、子どもの頃の毎日新聞にはナイターの結果が7回くらいまでしか載っていませんでしたな。たまに間違ってくる新潟日報だと最終回まであって何でかな?と思ったもんです。(´Д`|||)?
上野行き普通は津軽地方や秋田の人が就職や出稼ぎのために上京するために利用した人も多かったでしょうね。普通列車や急行で上京して、稼いでお金貯めて特急あけぼので故郷に帰るというのがステータスだったようです。
@@hiryos3325 さん嘗ての、夜行急行「津軽」が「出世列車」と呼ばれていた理由がそこにありますからね。
昼の12時過ぎに乗車して上野着が明朝5時普通列車で行けるのもいいのですがあの頃の客車の座席を考えると・・・ある意味地獄だったでしょうね準急も急行も1等や寝台以外の普通座席は普通列車と同じなので長距離移動は大変だったでしょう
いつもご視聴とコメントありがとうございます。時刻表の情報だけですと、乗ってみたい列車ばかりですが、実際に乗ってみると過酷な状況だったでしょうね。良く揺れる、スキマ風が入ってくるといった状況だったでしょうから、冬場は特に過酷な普通列車だったでしょうね。
@@tomoyankun 豪州在住なのですが、10年前ぐらいにシドニー~メルボルンを夜行列車の普通席で移動したことが何度もありました。(時期にもよりますが、飛行機より安かったのが大きな理由でした。)まだ20代の頃なので体力的には余裕がありましたが、冗談抜きでよく揺れる列車で殆ど眠れずに過ごしたことを覚えています。日豪問わず、出来たらやはり寝台車ですかね。(笑)
これは、一番驚いたかもです。特急列車がなんと上野行きの「つばさ」一本だけとは・・・しかも上野駅まで8時間40分の長旅。他にも上野行きの急行が走っていますが、ちと寂しい気もしますね。この時刻表通りなら、走っている路線が少し違うとはいえ、秋田新幹線のありがたさが良くわかるような気がいたします。ご多忙かと存じますが、今後も大いに期待しております。本年もよろしくお願いします。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。仰る通り、用意されている列車の本数で需要をすべて満たせていたのかは疑問に思える時刻表だったなと思います。繁忙期は混雑していたのだろうなと想像しています。本業の方もありがたいことに忙しくなっておりまして、最近はいただいたコメントへの返信にも時間がかかってしまい申し訳ありません。1つ1つのコメントを、楽しみにじっくり拝見させていただいております。時刻表の楽しさをお届けできるよう頑張ってまいりますので、今年もどうぞよろしくお願い致します。
@@maruhiroya417 さん所謂「板谷峠」で大変な事があったとか‥‥‥‥‥
@@maruhiroya417 さん確か、オーバーヒートして「EF71」(福島~米沢限定運用の交流電機機関車)の救援を受ける羽目になった話ですね。
@@maruhiroya417 さん昔は、電機機関車がトラブるとディーゼル機関車が救援に入り、ディーゼル機関車がトラブると蒸気機関車が救援に入るというカオスな事があったそうですからね。
お金のない人は昼間の普通夜行で上野、多少お金持ってる人は急行で上野。リッチな人は特急つばさで上野。それぞれに乗って東京五輪見に行ったんだろうなあって想像してました。
いつも楽しく視聴しています本線といっても本線は決して多くはないですね当時から人口が少なく利用者も多くなかったのかな?と思います今の時期に乗車したら全区間豪雪地帯を走るのでしょうね
いつもご視聴とコメントありがとうございます。当時の乗降客数を記したデータがないため推測ですが、現在よりも人口は少なかったことから利用者数は少なかったのでしょうね。冬になると定時運行が困難だっただろうなと思います。
準急たざわが急行⇒特急に昇格という記載には、ちょっと違和感を感じます。この動画で紹介されている「準急たざわ」は田沢湖線経由ではありません。準急が急行になったのは、田沢湖線が開通した昭和41年以降だと思いますが、それは単なる経路変更なのか、一旦陸羽東線経由の準急たざわを廃止してからなのかは不明です。
田沢湖線開業の時は急行は南八幡平を名乗っていました。東北新幹線が出来るまで田沢湖線の急行は2本だけだったことを考えると盛岡と秋田の流動はさほどなかったものと思います。
@@TSUYOS185 調べてみたら、陸羽東線・奥羽線経由の準急たざわは、昭和40年に準急千秋に変更されていますね。そして、昭和43年に急行南八幡平が急行たざわに変更されているようです。
ご視聴とコメントありがとうございます。準急たざわの件は調査不足かつ、表現が不正確であったなと思います。私の方でも調べてみましたが、同様の内容でした。当時を知る情報が少なく、また列車名がダイヤ改正を機に違う路線に移ってしまったことも把握しづらくさせていますね。大変勉強になりました。ありがとうございました。
あけぼの当時は福島行きの急行1970年10月に上野~青森の奥羽本線経由の寝台特急になる特急としては最後の20系戦士その後羽越本線経由に変わるゴロンとシートは晩年のあけぼのの名物だった
この頃の急行のあけぼの号は北上線(当時は横黒線)経由の仙台行きですね。北上線が東北本線と奥羽本線を繋ぐ重要な役割を担っていました。特急は地方と東京を結ぶ晴れの日の特別なもの、そして一般的な東京への移動や東北の中核都市に成りつつあった仙台への移動が急行でした。まだ航空路線も高速道路もない時代、国鉄のニーズは相当なものがあったものと思います。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。「あけぼの」のゴロンとシートは名物でしたね。確か企画切符も発売されていたように思います。ゴロンとシートに限らず、個室A寝台、個室B寝台もあり、変化にとんだ面白い列車でしたね。
当時から本数は少なかったのね。先週使ったときにレンタカーを使わなかった事を後悔した。
上野方面、昼行は特急1本、急行1本。夜行は3本。因みに、「津軽」は、鉄道ジャーナル誌では「出世列車」とあだ名される名門列車で、奥羽本線沿線の利用客が殺到した混雑列車と称されてました。落ち目の人は、奥羽本線経由の上野発青森行の鈍行で、コソッと帰るとか……。鉄道写真には、秋田駅を同時に発車する奥羽本線経由「つばさ」上野行と羽越本線経由「白鳥」大阪行の写真があります。普通列車は14本設定されてます。ディーゼル列車が5本、客車列車が9本で、時隔も1時間に1本、9時、13時、18時は列車がありません。終車も21時18分で、早いです。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。出世列車、良い響きですね。いろいろな希望や不安を載せて走っていたことが想像できますね。特急が同時発車する様子、検索してみました。素晴らしい写真ばかりですね。しかし撮影者が堂々と駅の線路内に侵入している写真もあり、黙認される時代であったことにも驚きです。
院内行きっていう全く知らない行き先の普通がソコソコありますね…
いつもご視聴とコメントありがとうございます。私も時刻表を見ていて初めて知った駅です。調べてみますと駅舎が赤レンガ調になっていてなかなか風情のある駅でした。
院内行きは山形との県境の秋田側の駅なので県境越え需要が多くないので、院内で折り返す列車なんだと思います。今でも秋田発と横手発の一日2本、院内行きがあります。
現在:18本/日05|54新庄06|17湯沢 43横手07|08|09新庄09|12湯沢10|16新庄11|49湯沢12|39横手13|45新庄14|45湯沢15|45新庄16|45新庄17|45新庄18|45湯沢19|45院内20|21|00湯沢 45横手22|35湯沢1964年:22本/日05|32福島06|44(準)仙台 55和田07|13横手08|10(特)上野 35福島09|50(急)仙台10|25(急)上野 35福島11|30院内12|40上野13|14|10(準)仙台・米沢 20湯沢15|30米沢16|26横手17|23院内18|18(急)上野 46(急)上野19|39院内20|15横手21|18羽後境 52(急)上野22|
コメント掲載の承認が遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした。ご視聴とコメントありがとうございます。また、詳細にまとめていただきありがとうございます。新幹線の開業により便利になりましたが、現在の在来線の行き先は大変シンプルになりましたね。時刻表を読んで楽しむ分には、昔の時刻表の方が良いなと思います。
新潟に行く列車ってないんですね!
最終列車が早い時刻。
ご視聴とコメントありがとうございます。本当に最終列車が早いですね。需要がなかったのか、それとも乗客の方が合わせていたのか気になりますね。
バリエーションに乏しいかと思いますが次は私鉄もお願いします
私もこの時代の私鉄の時刻表、特に関東の私鉄の始発駅のものがあれば良いと思うのですが、、ネットで調べても駅単位のものはほとんど見ません。各大手私鉄の冊子版の時刻表が発売されたのは昭和50年代ということを考えると資料としてはほとんど出回っていないものと思います。この時代の時刻表では国鉄でも首都圏や関西の国電区間の時刻は始発と終電、その間の間隔くらいしか掲載されておりません。現地で直接確かめるか電話で問い合わせるしかなかったものと思います。横からすみませんでした。
ご視聴とコメントありがとうございます。また、リクエストありがとうございます。私もちゃん やーさんと同様に、私鉄の時刻表には大変に興味を持っております。しかし、TSUYO Sさんの仰る通りで、私鉄の時刻表といった当時を知るてがかりは非常に乏しく、残念でなりません。鉄道会社さんが資料を持っているのか気になりますね。いつか資料が手に入った時には、動画にしたいなと思っています。
上野方面、昼行は特急1本、急行1本。夜行は3本。因みに、「津軽」は、鉄道ジャーナル誌では「出世列車」とあだ名される名門列車で、奥羽本線沿線の利用客が殺到した混雑列車と称されてました。落ち目の人は、奥羽本線経由の上野発青森行の鈍行で、コソッと帰るとか……。鉄道写真には、秋田駅を同時に発車する奥羽本線経由「つばさ」上野行と羽越本線経由「白鳥」大阪行の写真があります。普通列車は14本設定されてます。ディーゼル列車が5本、客車列車が9本で、時隔も1時間に1本、9時、13時、18時は列車がありません。終車も羽後境行の21時18分で、早いです。多分、近距離は乗合自動車利用が主体かも。やはり、お約束の青森発上野行の鈍行列車、22時間もかけて走ってます。主体は荷物・郵便物輸送だろうと思います。今は廃れたが、昔は、鉄道小荷物とチッキと呼ばれた手廻り品を別送するサービスがありました。関係ないですが、この頃は秋田市電が走ってました。
コメントありがとうございます。大変面白い情報ありがとうございます。「チッキ」について調べてみますと、有名な忠犬ハチ公もチッキで運ばれたという記述もあり、大変驚きです。また、秋田にも市電が存在していたのですね。初めて知りました。昭和41年に廃止されていますから、かなり早い段階で廃止されていますね。
50代半ばのおじさんです。
何気に背景の画像がだいすき。
ご視聴とコメントありがとうございます。
背景の画像は時間のある時にオリジナルで作っております。お褒めの言葉大変嬉しいです。ありがとうございます。
興味深い動画、いつもありがとうございます。
秋田8:10発の「つばさ」は、青森発の「白鳥」と同時発車だったんですよね。そして「白鳥」→「つばさ」に乗り継いでも、特急料金が通算されるという、国鉄にしては柔軟なサービスがあったんですね。
ご視聴とコメントありがとうございます。
「国鉄にしては」というのは同感です。特急料金は当時高価でしたから、通しの特急券が購入できるというのはありがたいですね。
いつもありがとうございます。
東京と大阪の間に新幹線が出来ようとしている時代に優等列車すら少なくかつ最終列車が急行の津軽号というのも驚きですね。普通列車も9時過ぎで終了と言うのも時代を感じるものです。
鹿児島のところでもコメントさせていただきましたが、地方都市では県庁所在地クラスと言えども近所で物事が完結し夜は早々と家に帰っていたものと思います。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
本数の少なさと、最終の速さに驚きですね。
鹿児島の動画でコメントいただきましたね。ありがとうございます。この頃は地方関係なく、現在のように、都市間での移動を積極的に行うような時代ではなかったわけですね。生活スタイルの変化を感じますね。
@@tomoyankun さま
この時代は買い物は各地区の駅前商店街、周辺の方々が秋田に出るくらいでも大仕事だったのでしょうね。
今や地方では駅前が衰退し、広大な敷地を有するショッピングモールに車で行きそこで1日の買い物と娯楽が完結する時代。地方の新幹線や鉄道で夜に旅することもありますが、夜遅くでもモールだけは煌々と明かりがついていますね。
地方に残った方の生活も都会化しているのでしょう。便利にはなれど地域独特の文化が隅に追いやられているものと思います。
おが
懐かしい…
私が秋田に居た頃は、急行で1本だけでした。
ご視聴とコメントありがとうございます。
当時の時刻表を読むと、懐かしい列車はもちろん、初めて知る列車もあり、楽しいですね。
現在の 奥羽本線は 新庄駅で 完全に 分断されています。分断前の 奥羽本線には 長距離列車が 多かったですね。
ご視聴とコメントありがとうございます。
軌間が異なっているので、完全に分断されてしまいましたね。
今では踏切で止まる事が珍しいですね
電車もバスもほんと少なくなった
ご視聴とコメントありがとうございます。
バスのシェアが増えた後に、現在ではそのバスも衰退傾向にありますね。時代の変化で仕方がない部分があるとはいえ、公共交通から少しずつ元気がなくなっていくことが寂しいですね。
秋田駅は今では新幹線で当日中の夕方に鹿児島中央まで辿り着けるみたいですね。
秋田6:09~東京09:47 こまち6号
東京10:09~博多15:06 のぞみ23号
博多15:13~鹿児島中央17:01 つばめ325号
日本国内がかなり近くなったと感じます。
しかし秋田新幹線が田沢湖線経由になってしまっているため、
奥羽本線の衰退ぶりには目を覆いたくなりますね・・・
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
詳細に調べていただきありがとうございます。
1964年9月の時刻表で調べてみますと
秋田8:10~上野16:50 特急つばさ
東京19:00~西鹿児島17:30 特急はやぶさ
約24時間の差がついてしまいますね。
この動画を作成してから、現在の奥羽本線の時刻表を見てみましたが、
新幹線を除けば、区間運転の普通列車ばかりで本当に寂しくなってしまいましたね。
楽しく拝見させてます。
今度は盛岡駅の時刻表をお願いします!
ご視聴とコメントありがとうございます。
東北本線のすべての列車が停車し、山田線の列車もあり、大変にぎやかな時刻表になっています。リクエストを大変多くいただいておりますので、時間がかかってしまうと思いますが、とり上げさせていただきますね。リクエストありがとうございます。
@@tomoyankun ありがとうございます!ちなみに私は元東北本線沿線の盛岡市民です。
上野行き列車に急行のみならず普通列車まであったのには驚き。
上りはまだしも下りは新聞輸送を担っていましたね。
全国紙やスポーツ新聞は都内で印刷、夜行列車に積み込まれていたようです。
地域ごとに記事の締め切り時間が異なり、プロ野球の結果が途中までしか記載されていなかったことも。
ネットで結果がすぐに分かる現在では考えられないことですね。
ご視聴とコメントありがとうございます。
まだまだ列車が人やモノの輸送の主力であったことを裏付けているように思えますね。
新聞にプロ野球結果が途中までしか記載されないことに驚きました。日本のどこにいても最新の情報が手に入ることが素晴らしいことだと実感しますね。
@@TSUYOS185 さん
新潟在住ですが、子どもの頃の毎日新聞にはナイターの結果が7回くらいまでしか載っていませんでしたな。たまに間違ってくる新潟日報だと最終回まであって何でかな?と思ったもんです。(´Д`|||)?
上野行き普通は津軽地方や秋田の人が就職や出稼ぎのために上京するために利用した人も多かったでしょうね。
普通列車や急行で上京して、稼いでお金貯めて特急あけぼので故郷に帰るというのがステータスだったようです。
@@hiryos3325 さん
嘗ての、夜行急行「津軽」が「出世列車」と呼ばれていた理由がそこにありますからね。
昼の12時過ぎに乗車して上野着が明朝5時普通列車で行けるのもいいのですがあの頃の客車の座席を考えると・・・ある意味地獄だったでしょうね準急も急行も1等や寝台以外の普通座席は普通列車と同じなので長距離移動は大変だったでしょう
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
時刻表の情報だけですと、乗ってみたい列車ばかりですが、実際に乗ってみると過酷な状況だったでしょうね。良く揺れる、スキマ風が入ってくるといった状況だったでしょうから、冬場は特に過酷な普通列車だったでしょうね。
@@tomoyankun 豪州在住なのですが、10年前ぐらいにシドニー~メルボルンを夜行列車の普通席で移動したことが何度もありました。(時期にもよりますが、飛行機より安かったのが大きな理由でした。)まだ20代の頃なので体力的には余裕がありましたが、冗談抜きでよく揺れる列車で殆ど眠れずに過ごしたことを覚えています。日豪問わず、出来たらやはり寝台車ですかね。(笑)
これは、一番驚いたかもです。特急列車がなんと上野行きの「つばさ」一本だけとは・・・しかも上野駅まで8時間40分の長旅。他にも上野行きの急行が走っていますが、ちと寂しい気もしますね。この時刻表通りなら、走っている路線が少し違うとはいえ、秋田新幹線のありがたさが良くわかるような気がいたします。
ご多忙かと存じますが、今後も大いに期待しております。本年もよろしくお願いします。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
仰る通り、用意されている列車の本数で需要をすべて満たせていたのかは疑問に思える時刻表だったなと思います。繁忙期は混雑していたのだろうなと想像しています。
本業の方もありがたいことに忙しくなっておりまして、最近はいただいたコメントへの返信にも時間がかかってしまい申し訳ありません。1つ1つのコメントを、楽しみにじっくり拝見させていただいております。
時刻表の楽しさをお届けできるよう頑張ってまいりますので、今年もどうぞよろしくお願い致します。
@@maruhiroya417 さん
所謂「板谷峠」で大変な事があったとか‥‥‥‥‥
@@maruhiroya417 さん
確か、オーバーヒートして「EF71」(福島~米沢限定運用の交流電機機関車)の救援を受ける羽目になった話ですね。
@@maruhiroya417 さん
昔は、電機機関車がトラブるとディーゼル機関車が救援に入り、ディーゼル機関車がトラブると蒸気機関車が救援に入るというカオスな事があったそうですからね。
お金のない人は昼間の普通夜行で上野、多少お金持ってる人は急行で上野。リッチな人は特急つばさで上野。
それぞれに乗って東京五輪見に行ったんだろうなあって想像してました。
いつも楽しく視聴しています
本線といっても本線は決して多くはないですね
当時から人口が少なく利用者も多くなかったのかな?と思います
今の時期に乗車したら全区間豪雪地帯を走るのでしょうね
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
当時の乗降客数を記したデータがないため推測ですが、現在よりも人口は少なかったことから利用者数は少なかったのでしょうね。
冬になると定時運行が困難だっただろうなと思います。
準急たざわが急行⇒特急に昇格という記載には、ちょっと違和感を感じます。
この動画で紹介されている「準急たざわ」は田沢湖線経由ではありません。
準急が急行になったのは、田沢湖線が開通した昭和41年以降だと思いますが、それは単なる経路変更なのか、一旦陸羽東線経由の準急たざわを廃止してからなのかは不明です。
田沢湖線開業の時は急行は南八幡平を名乗っていました。東北新幹線が出来るまで田沢湖線の急行は2本だけだったことを考えると盛岡と秋田の流動はさほどなかったものと思います。
@@TSUYOS185 調べてみたら、陸羽東線・奥羽線経由の準急たざわは、昭和40年に準急千秋に変更されていますね。そして、昭和43年に急行南八幡平が急行たざわに変更されているようです。
ご視聴とコメントありがとうございます。
準急たざわの件は調査不足かつ、表現が不正確であったなと思います。
私の方でも調べてみましたが、同様の内容でした。当時を知る情報が少なく、また列車名がダイヤ改正を機に違う路線に移ってしまったことも把握しづらくさせていますね。
大変勉強になりました。ありがとうございました。
あけぼの
当時は福島行きの急行
1970年10月に上野~青森の奥羽本線経由の寝台特急になる
特急としては最後の20系戦士
その後羽越本線経由に変わる
ゴロンとシートは晩年のあけぼのの名物だった
この頃の急行のあけぼの号は北上線(当時は横黒線)経由の仙台行きですね。北上線が東北本線と奥羽本線を繋ぐ重要な役割を担っていました。
特急は地方と東京を結ぶ晴れの日の特別なもの、そして一般的な東京への移動や東北の中核都市に成りつつあった仙台への移動が急行でした。まだ航空路線も高速道路もない時代、国鉄のニーズは相当なものがあったものと思います。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
「あけぼの」のゴロンとシートは名物でしたね。確か企画切符も発売されていたように思います。ゴロンとシートに限らず、個室A寝台、個室B寝台もあり、変化にとんだ面白い列車でしたね。
当時から本数は少なかったのね。先週使ったときにレンタカーを使わなかった事を後悔した。
上野方面、昼行は特急1本、急行1本。夜行は3本。因みに、「津軽」は、鉄道ジャーナル誌では「出世列車」とあだ名される名門列車で、奥羽本線沿線の利用客が殺到した混雑列車と称されてました。落ち目の人は、奥羽本線経由の上野発青森行の鈍行で、コソッと帰るとか……。
鉄道写真には、秋田駅を同時に発車する奥羽本線経由「つばさ」上野行と羽越本線経由「白鳥」大阪行の写真があります。
普通列車は14本設定されてます。ディーゼル列車が5本、客車列車が9本で、時隔も1時間に1本、9時、13時、18時は列車がありません。終車も21時18分で、早いです。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。出世列車、良い響きですね。いろいろな希望や不安を載せて走っていたことが想像できますね。
特急が同時発車する様子、検索してみました。素晴らしい写真ばかりですね。しかし撮影者が堂々と駅の線路内に侵入している写真もあり、黙認される時代であったことにも驚きです。
院内行きっていう全く知らない行き先の普通がソコソコありますね…
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
私も時刻表を見ていて初めて知った駅です。調べてみますと駅舎が赤レンガ調になっていてなかなか風情のある駅でした。
院内行きは山形との県境の秋田側の駅なので県境越え需要が多くないので、院内で折り返す列車なんだと思います。今でも秋田発と横手発の一日2本、院内行きがあります。
現在:18本/日
05|54新庄
06|17湯沢 43横手
07|
08|09新庄
09|12湯沢
10|16新庄
11|49湯沢
12|39横手
13|45新庄
14|45湯沢
15|45新庄
16|45新庄
17|45新庄
18|45湯沢
19|45院内
20|
21|00湯沢 45横手
22|35湯沢
1964年:22本/日
05|32福島
06|44(準)仙台 55和田
07|13横手
08|10(特)上野 35福島
09|50(急)仙台
10|25(急)上野 35福島
11|30院内
12|40上野
13|
14|10(準)仙台・米沢 20湯沢
15|30米沢
16|26横手
17|23院内
18|18(急)上野 46(急)上野
19|39院内
20|15横手
21|18羽後境 52(急)上野
22|
コメント掲載の承認が遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした。
ご視聴とコメントありがとうございます。
また、詳細にまとめていただきありがとうございます。
新幹線の開業により便利になりましたが、現在の在来線の行き先は大変シンプルになりましたね。時刻表を読んで楽しむ分には、昔の時刻表の方が良いなと思います。
新潟に行く列車ってないんですね!
最終列車が早い時刻。
ご視聴とコメントありがとうございます。
本当に最終列車が早いですね。需要がなかったのか、それとも乗客の方が合わせていたのか気になりますね。
バリエーションに乏しいかと思いますが次は私鉄もお願いします
私もこの時代の私鉄の時刻表、特に関東の私鉄の始発駅のものがあれば良いと思うのですが、、
ネットで調べても駅単位のものはほとんど見ません。
各大手私鉄の冊子版の時刻表が発売されたのは昭和50年代ということを考えると資料としてはほとんど出回っていないものと思います。
この時代の時刻表では国鉄でも首都圏や関西の国電区間の時刻は始発と終電、その間の間隔くらいしか掲載されておりません。
現地で直接確かめるか電話で問い合わせるしかなかったものと思います。
横からすみませんでした。
ご視聴とコメントありがとうございます。
また、リクエストありがとうございます。
私もちゃん やーさんと同様に、私鉄の時刻表には大変に興味を持っております。
しかし、TSUYO Sさんの仰る通りで、私鉄の時刻表といった当時を知るてがかりは非常に乏しく、残念でなりません。鉄道会社さんが資料を持っているのか気になりますね。
いつか資料が手に入った時には、動画にしたいなと思っています。
上野方面、昼行は特急1本、急行1本。夜行は3本。因みに、「津軽」は、鉄道ジャーナル誌では「出世列車」とあだ名される名門列車で、奥羽本線沿線の利用客が殺到した混雑列車と称されてました。落ち目の人は、奥羽本線経由の上野発青森行の鈍行で、コソッと帰るとか……。
鉄道写真には、秋田駅を同時に発車する奥羽本線経由「つばさ」上野行と羽越本線経由「白鳥」大阪行の写真があります。
普通列車は14本設定されてます。ディーゼル列車が5本、客車列車が9本で、時隔も1時間に1本、9時、13時、18時は列車がありません。終車も羽後境行の21時18分で、早いです。
多分、近距離は乗合自動車利用が主体かも。
やはり、お約束の青森発上野行の鈍行列車、22時間もかけて走ってます。主体は荷物・郵便物輸送だろうと思います。
今は廃れたが、昔は、鉄道小荷物とチッキと呼ばれた手廻り品を別送するサービスがありました。
関係ないですが、この頃は秋田市電が走ってました。
コメントありがとうございます。
大変面白い情報ありがとうございます。
「チッキ」について調べてみますと、有名な忠犬ハチ公もチッキで運ばれたという記述もあり、大変驚きです。
また、秋田にも市電が存在していたのですね。初めて知りました。昭和41年に廃止されていますから、かなり早い段階で廃止されていますね。